お世話になっております。
沖縄で中古不動産を扱っている株式会社イエカリヤの西島です。
昨日のブログ、盛り上がってましたねー(*’ω’*)
内覧は結構人と時間制限があってバタバタしていたんですが、「あ、そうそう!ここはこうだった!!」と考えながら楽しく読めて、とても楽しいブログでした。まだ、読まれていない方は是非!!
さてさて、話は打って変わって。以前『コザについて熱く語る』を執筆したのですが、
その中で、
『コザについて書いてください。
なんなら、三山時代まで遡っても大丈夫です。』
という指令を受けていましたので、今日はそのことについてブログを書きたいと思います。
といっても、三山時代すべてではなく、その中の中山に目を向けていきたいと思います。
|●按司
さて、まず三山時代を語るうえで切っても切り離せないのが、『按司(あじ)』
紀元前8~900年頃に米作りが伝わりました。そうすると、小さな国が生まれやがて勢力争いが起きます。
団結して組織になると、リーダーが生まれるのは世の常。この時にできた階級が按司です。
按司は日本でいう武士と同じ立ち位置になります。
武士が城を持つように、按司も城を築き勢力争いをしていくうちに出来たのが、
中山・南山・北山の三山時代です。
|●コザは城下町
ところでコザにも城跡があるのをご存じですか??
越来城(ギークグスク)、現在は越来城水辺公園となっています。
コザってむか~し昔は城下町だったんですね!
そして、越来城は中山に属していました。
|●中山王
初代中山王といわれているのは、浦添の按司であった英祖といわれています。
そして次に中山王で名前が上がるのは蔡渡。
蔡渡が中山王として明に進貢すると、絹や珍しい物資、暦などが送られてきました。
これは日本とアメリカの安保体制のように、明朝を盟主として認め冊封することを意味し、
見返りとして中国商品を手に入れることができるようになりました。
それから蔡渡は造船技術、航海技術、貿易を教えてくれる顧問を明朝より招き、
北山・中山も巻き込む貿易ブームを巻き起こしました。
|●琉球国王
蔡渡死後、中山勢いは長くは続きませんでした。
次第に弱体化していく中山、そんな中で力をつけてきたのが
後に琉球統一を果たし、初代琉球国王となる尚巴志です。
巴志は漁夫から佐敷の按司になり、中山王になった巴志。
中山の本拠地を浦添から首里の移転し、積極的に明と貿易をしていきました。
そして1416年北山の按司たちと共に今帰仁城を攻め落とし、
また1429年南山城も落とし、名実ともに沖縄の王になりました。
その後、明朝より1422年に『尚』の姓を賜ります。
これにより、第一尚王統発足となりました。尚巴志50歳のことでした。
さて、かなーり駆け足で中山の事を話しました。
もう、細かいところは突き詰めていくと私には手に負えません(´;ω;`)
なので、ここ等へんで勘弁してくださいm(__)m
しかし、地元の昔の事が分かるのは楽しいですね♪
少し難しいところもあるけど(苦笑)
コザについての記事はもうしばらく続きますのでどうかお付き合いください(*’ω’*)
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